2009年09月16日
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世田谷中央図書館初訪問と山手急行用地を転用した道路の問題

Written By: 川俣 晶連絡先

 「て」さんより2009/9/14に以下のようなメッセージを頂きました。

 「明大前の自動車教習所の謎は山手急行予定路線と直結していた!?」に対して

こんばんは。

山の手急行、興味深々です。明大前の教習所跡のマンション、ビックリです。

以前、世田谷の区史で読みましたが、北沢税務署(最近コンビニが出来た)所から梅ヶ丘駅の西側を南行し滝坂道辺り迄の中途半端な道路は、最初から都市計画でなく、山の手急行の用地取得跡を、再利用し道路にして、都市計画を追加した物だそうです。

明大前から渋谷に向かうと、東松原駅の手前の踏切付近の左カ―ブの井の頭線から直線で、工事事務所に向かう私有地もあり、これが北沢税務署附近の途切れた太い道路に、正に直行しています。歴史って面白いですね。

 世田谷の区史での記述を確認したいと思い、昨日は経堂の図書館まで行きましたが「世田谷区史」は無いことが分かり、今日は世田谷区の中央図書館まで行ってきました。

 しかし、結果は「成果無し」でした。なかなかの難物です。

  • 「世田谷区史」「新修世田谷区史」という2つの版がある。更に「区史」と名乗らない歴史の本があり、どれが対象か明確ではない
  • 「世田谷区史」「新修世田谷区史」のいずれも分厚く、全てチェックは困難
  • 「新修世田谷区史」は依頼して書庫から出してもらう必要があり、時間、手間も要する (その手間を費やしたが)

 というわけで、惨敗です。

 せめてもう少し、具体的な記述場所を説明していただけると有り難いところです。

とはいえ §

 これらの区史には面白い話が詰まっていました。私設市場から中央卸売市場へ変化するあたりの詳しい説明も書いてあり、世田谷の農産物の都心への出荷ルートの1つが甲州街道であることも明確に書いてありました。

 きちんと読み込めば、膨大な面白い話題が掘り出せると思いますが、到底それだけのパワーを掛ける余地はありません。残念。

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